寂しい時こそ“意味のないくだらなさ”に触れる まいどん
何が原因かもわからないけど、とにかく寂しい・・・。
そんな胸がぽっかり空くような時間を過ごしたこと、誰しも一度はあるかと思います。
ひとり寂しいと感じたとき、あなたはどう過ごしていますか?
私は寂しいとき、撮り溜めておいたテレビの録画を見ます。
撮り溜めておくのは、芸人さんの某深夜番組。
深夜のゆるい不真面目なテレビを見ていると、寂しかった気持ちが和らぎ、
気がつくと笑顔になっているのです。
日中やゴールデンタイムに放送される番組も面白いものが多いですが、
深夜帯の番組はキラキラし過ぎず、くだらない内容が多いと感じています。
その“意味のないくだらなさ”こそ、私を寂しさから救ってくれます。
日々生活していると、自分の周りにある物事は何かの意味を求めて、そこに在るような気がしてきます。
商品を買ってもらおうと目に入ってくる駅の広告、社会に馴染むために買った服、いいねを求めてくるSNS・・・。
モバイル化が進む時代の中で「時間資本主義」という言葉もあり、移動時間や待ち時間の数分のスキマ時間もどう有効的に使うかを求める人が増えています。
そんな社会を生きていると、ふと、自分の行動や存在にも意味や価値を求めてしまうときがあります。
この時間で私は何を生み出せたのか、私はどう社会の役に立てるのか、この経験は何かの役に立つのか・・・。
そんなふうに考えていると、自分も何か意味を持っていないといけない気がして、ありのままの自分が認められなくなり、胸がぎゅう、と息苦しく感じてしまう時があります。
そういった“意味”が付随してくる社会の中で、うまく意味を見出せない自分が受け入れられず、どうも苦しく、寂しくなるのです。
社会から少し離れ、ひとりになりたいけれど、ひとりになるとなんだか寂しい・・・。
そしてそんな寂しささえ、どうして寂しいのかを考えて余計に心が暗くなってしまいます。
そのような時、私はむくりと起き上がり、テレビをつけ、撮り溜めておいた深夜番組をみます。
私が撮り溜めておく番組の内容は、不真面目でくだらなく、意味もないため役にも立たない、そんなものが多いです。
この意味を求める社会を生きていると、「この番組を見て私は何を得られるのだろう」なんて考えてしまうかもしれません。
しかし、私はそんな意味もないことに全力で取り組む芸人さんや番組制作陣の姿に、ひどく人間味を感じ、なぜかあったかい気持ちになってしまうのです。
意味がなくてもそれで良いと、それも生き方だ、と言ってもらえている気がして
意味もなく寂しいという感情や、何も生み出せない時間、役に立たないと思われる経験こそが私の人間味なのだと感じることができます。
そして、私の意味や価値が見出せない部分も人間らしくていいじゃないか、と少し自分を受け入れることができます。
意味を求める社会の中で、くだらない深夜番組はひとりの人間の生き方を肯定する存在として、かえって有意義なものになっています。
深夜番組は、意味もない時間を過ごした視聴者さえも巻き込んで、よりくだらなさを増していきます。自分もくだらない時間を番組と共に過ごしていると思うとどうもおかしく、嬉しい気持ちになります。
時代の流れで深夜番組のあり方も変わりつつありますが、どうかこのスタイルのままであってほしいと願っています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
私が実際テレビを見ているときは、こんな難しいことは考えもせず、
ただ目の前のくだらなさに笑いながらひとりツッコミを入れ楽しんでおります。
少しでも寂しい時間の過ごし方の参考になれば幸いです。